社長の人生と家づくりに対する想い

人生最初の試練!
昭和48年(1973年)12月3日午後8時20分
樺戸郡月形町で農家を営む岡家の次男として誕生。

生れて1か月を過ぎた頃に高熱を発症し一週間の病院通い。

「熱が下がらなければ助からないかも知れない」

両親は病院の先生からそう告げられたとのこと。

「明日明後日で熱が下がらなかったら危険です」

そう言われた後ギリギリのところで熱が下がり、
何とか命は助かりました。

後に聞いたそうですが、
先生は助からないだろうと思っていたそうです。



どこでも生きていける
その後は大きな病気も無く健やかに成長。
実家は農家としてお米やメロン、
スイカなどを作っていて、
両親はもちろん祖父母も含めて家族総出で忙しい毎日。

なので夏の繁忙期には、
札幌の親戚の家に預けられていたことを記憶しています。

親戚と暮らすことが当たり前になっていたからか、
夏が終わり私を実家に送り届けてくれて、
叔父達が札幌に戻ろうと車に乗ると、
私も一緒に帰ろうと親戚の車に乗り込んでいたそうです(笑)。

親戚の子とはいえ毎年何週間も預かってくれ、
温かさとか優しさを感じて育つことができた親戚には感謝しかありません。



小学校中学校が同じ校舎
地元の小学校は中学校も一緒の小中併置校で、
一学年15人前後の小さな学校。

小学1年生から中学3年生までが同じ校舎で、
一緒に学校生活を送ります。

低学年の時には大きなお兄さんやお姉さん達が遊んでくれて、
楽しかったという記憶もあります。

ただ、小学校を卒業しても隣の教室に移動するだけ。
なので、小学校卒業には特別感は無し(笑)。



人生を左右する漢字との出会い
そんな、ザ田舎の小中学校生活も終わり、
卒業後は地元の月形高校へ進学。

高校では野球部に入部し、
本格的に野球に取り組む日々でした。

実は小学校、中学校でも野球をやっていたのですが、
特別熱心な指導者もいなかったので、
遊びの延長程度の練習しかしておらず下手くそ。

それが高校では厳しい指導と練習に激変したのですが、

真剣に取り組めば成長できるんだ

ということを実感でき、
練習は辛かったですが充実した日々でした。

その時の経験は私にとって大きな財産となっています。

そんな野球に熱中する一方で、
自分の将来の進路についても色々と考え始めました。

農作業が好きだったので、
本当は農家を継ごうと思っていたのですが、
実家は兄が継ぐと言ったため自分は出て行かなくてはいけません。

別の道を探すため、
高校の進路指導室で専門学校の案内を見ていると、

《 創造する 》

という文字が飛び込んできて、
一気に魅了されました。

「創るってなんかクリエイティブでカッコイイ!!!」

それは建築の専門学校の案内だったのですが、
自分の手がけた仕事が何年も形として残るということに心を惹かれ、

「なんて良い仕事なんだ!」

と思い建築の道に進む事を決めました。

私を建築へ導いてくれた、

『創』

という私にとって大切な文字は、
現在の会社名に取り入れています。




人生を左右するイベント
高校3年生になり部活を引退すると、
アルバイトをしてみたいと思うようになり、
地元のレストランでウェイターとして働き始めました。

アルバイト先の経営者のTさんはイベントも主催していて、
その名も、

「月形名物お祭りライブ MELON JAM in TSUKIGATA」

内容はアマチュアバンドが出演する野外ライブ。

今でこそ全国各地で夏フェスだ、
野外フェスだと沢山ありますが、
当時はまだあまり無く珍しいイベントでした。

自分たちで企画運営をし、
ステージも手作りしていたのに驚きましたが、
みんなで一つのイベントをつくり上げる楽しさを経験させてもらいました。

就職してからもこのイベントには関わり続け、
18歳から30代半ばまでの、
まさに青春をかけた人生で大切な時間と思い出になっています。

このイベントの存在が、
私が地元月形に残った一番の理由だったのかもしれません。




建築士を目指して
高校を卒業し、
建築の専門学校に進学。

日々建築を学ぶ中で感じました。

自分にはクリエイティブなセンスが足りない・・・・・・

設計は自分には無理だと思い、
就職は現場監督を希望し、
隣町の建設会社に入社しました。

入社後は現場監督として汗を流す毎日でしたが、
3年が経ったころに後輩が入社してくることを知らされました。

それを知った時に頭に浮かんだのが、

後輩に先に建築士の資格を取得されては困る!!

ということでした。

そこから一気に心に火が付き、
2級建築士の受験勉強をスタート。

学科試験は独学で勉強して何とかクリアしたのですが、
実技の製図がまったく練習できず。

焦っていると、
建築士受験の支援講座があることを知り、
試験2週間前に短期コースに参加。

その甲斐があって何とか合格することができました。

案の定、
後輩はその後簡単に合格したので、
追い越されなくて良かったと安堵した事を思い出します(笑)。

2級建築士の次は1級建築士試験です。

受験には実務経験4年が必要なため、
社会人5年目に初受験しました。

1級建築士となるとまったくレベルが違います。

学科から講座を受講し、
学科試験は1回目でクリアしたものの、
製図試験で惨敗。

製図試験は次年度まで受験できるので、
2年目に懸けていたのですが、
講座受講中に一式図面を描き上げる事ができないまま、
本番が近付いてきました。

そこからは毎日夜中まで必死に練習しましたが、
内心はダメかもしれないと思いながらも受験。

講座では一度も時間内に完成させられなかった一式図面ですが、
何と本番で初めて完成させる事ができ、
奇跡的だと自分でも驚きました。

正直なところ運も良かったとは思いますが、
努力したからこそ運を引き寄せる事ができたと感じました。


人生の選択
勤めていた建設会社には14年間在籍していたのですが、
次のステップに進みたい気持ちが日に日に膨らみ、
退社する決断をしました。

私を採用してくれた当時の先代社長に退社の報告をした際に、
引き留めのお言葉をいただき、
思わず涙してしまった事は一生忘れません。

退職した翌月から、
知り合いの紹介で札幌の住宅会社に再就職。

ただ、あまり自分には合わなかったため、
半年ほどで退職。

それまではとても忙しく、
自分の自由な時間もほとんど無かったため、
この退職を機に一度気持ちをリセットしようと旅に出ました。

岩手、群馬、川崎、横浜、東京、愛知、
香川、島根、大阪、広島、福岡を約3週間をかけてまわり、
色々な人にお世話になりながら貴重な経験ができました。

旅も終え地元に帰ると、
札幌の建設会社を紹介されたのですが、
どうしても札幌に戻る気持ちにはなれず、
地元月形で頑張りたいという思いが膨らんできました。

自分で仕事を始めよう!

そう決意し、

平成21年6月17日 株式会社HOPE・創Life 設立

急に思い立った起業だったので、
まったく準備などできていなかったのですが、
色々な方から支援をいただき第一歩を踏み出すことができました。




赤字スタート
スタートはしましたが、
無計画に起業したので仕事があるはずもありません。

第1期目の売上高は114万円......

237万円の赤字......

当然の結果ですが、
その無謀さに自分でも恐ろしくなります。

それでも地元の知り合いからお仕事を頂けるようになり、
付き合いのある業者さんからも紹介してもらえたりと、
少しずつ軌道に乗り始めました。

何の実績もない自分の仕事を快く引き受けてくれた、
協力業者さんや職人さん達にも感謝しかありません。


結婚と子育て
平成28年4月に入籍。

当時42歳で初めての結婚です。

その年の11月に行った結婚式では、
新郎挨拶の時に感無量で泣いてしまいました。

ちなみに新婦は泣いていなかったです......(笑)

翌年2月に待望の長男が誕生。

元気な子を産んでくれた妻には本当に感謝です。

夫となり、父となったことで、
家族のために頑張ろうという気持ちが湧き上がってきました。




家づくりへの疑問
住宅業界にいると、

新しい建材が良い!

新しい工法が良い!

と、新しい事に取り組むのが良い事だと思っていました。

自宅を新築する時には、
当時の新しいものを採用したのですが、
住んでみて初めて分かった事が沢山ありました。

家づくりについては考え直す事ばかりです。

まず最初に思った事は、

基礎断熱工法

基礎断熱工法とは、
基礎の立上り部分に発砲系の断熱材を打ち込み、
床下空間を換気して室内として扱う工法です。

暖房用のパネルヒーターを床下に設置し、
床に通気口を設けて床下から空気を循環させるのですが、
通気口から埃やゴミが床下に落ちます。

それらのゴミは誰が掃除をするのか?

お客様に床下にもぐって掃除してくださいとは言えませんよね。

埃やゴミが溜まった床下から、
室内に空気が送り込まれているのです。

自分で床下に入る度に思いました。

この床下の空気を吸っているのか......

とても気持ちが滅入りました。

家づくりの失敗
自宅での失敗や後悔はまだあります。

それは化学物質についての知識が無かった事です。

自宅を建てている時は、
化学物質についてはまったく気にしていませんでした。

国の基準を守っていれば大丈夫

そう思っていました。

しかしこれは大きな間違いだと気付かされました。

自宅の隣に仕事場の事務所を建てたのですが、
事務所に使った建材から出る化学物質が強烈だった様で、
その影響からか電磁波過敏症を発症してしまいました。

私たちのまわりには電磁波がたくさん発生しています。

私の場合は頭部や顔の皮膚がピリピリする症状で、
携帯電話で通話していると耳のあたりが痛くなります。

他には自宅のビニールクロスの臭いが気になり始め、
2階の南側の部屋に5分も居ると具合が悪くなる様になりました。

何か対策を取ると、
次にまた別の何かが気になり始めます。

周りの人には理解されないので、
一人で戦うしかありません。

なぜこんな状況になってしまったのか?

全ては化学物質に対する知識の無さが招いた事です。

その後は化学物質の知識と対策について勉強を重ね、
化学物質の使われていない接着剤や、
臭いの少ない建材を使う様に変えました。

建材の中には化学物質を分解する効果があると謳っているものもありますが、
よく調べるとその商品自体に化学物質が多く使われていたり、
売る事しか考えていない矛盾した商品が多いのも事実であり現実です。

家の中で一番面積が多いのは壁、
そして天井と床です。

壁と天井と床の素材選びと、
化学物質を使っていない接着剤の使用は、
家づくりにおいてとても重要なことです。

現在は自然素材をふんだんに使った家づくりをしています。

自然素材を謳うのであれば、
素材は本物でなくてはいけません。

表面だけに木が使われているような商品ではなく、

無垢材であること

塗壁であれば、

接着剤に樹脂や化学物質が使われていないこと

私たちは本物にこだわった家づくりのために、
日々勉強を重ねています。

私の家づくりのテーマは、

『家族を守る家づくり』

家族の健康と笑顔を守る家をつくることです。

「家族を守る家づくり」を通して、
安心安全な暮らしを提供することをお約束いたします。


株式会社HOPE・創Life 代表取締役 岡 浩之

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